長野びんずる祭り

7月に入った途端に忙しくなり、長野通信をすっかりご無沙汰してしまいました。

おまけに撮りためた写真をクラウドだけに頼っていたら端末を変えたとたんに消失してしまいました。 まめにバックアップを2種類以上で取らなければいけません。 ひとつ学びました。

 

そんななかでもなんとか残っていた写真でお休みしていた間のことを順次記してみます。

 

8月初めの土日に毎年行われているのが「長野びんずる祭り」。このお祭りは昭和40年代の高度成長期に若者が都会へ流出し、街の姿がかわることでそれまでの祇園祭がだんだん衰退し、これに代わる新しい祭りが求められたことによって長野市民が長野市の市民祭とはなんだろう?と考え生まれたそうです。

考える過程で長野市は仏都なので「火」を取り入れることとなり、市民がどう参加するかと考える中、当日は無礼講にしようと善光寺の「おびんずるさん」を出してこようと案が出て、実際に「おびんずるさん」を寺外に出せないが、名前は残し、市民がみんなで触れ合えるよう、しゃもじを使って触れ合いながら踊りを踊る、ということになったそうです。

第一回は昭和46年、今年は40回目に当たりました。

びんずる

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善光寺の参道やそこに続く大通りにわかれて何組のグループが参加したのでしょうか。

子供から大人まで18時半から21時半まで途中休みながら踊り通しでした。

暑い中それぞれが衣装をそろえたり、化粧をしたり、しゃもじあり団扇あり、まさに市民総出の触れ合いのお祭りでした。

 

私は池袋の出身なので10月にお会式が鬼子母神であってあの界隈の住民がみんな太鼓やフライパン(太鼓は高いので子供たちはフライパンでした)を打ち鳴らして3日間踊りましたが、長野は街が狭い分全市挙げてのお祭りとして似たようなお祭りがあることに因縁的なものを感じました。 街が狭くても道路は広いのでその道路をすべて通行止めして両車線いっぱいにみんなが踊り練り歩く(飛ぶ?)さまは見ごたえありましたし、見ているこちらもウキウキしてきました。

でも皆さんの体力には脱帽です。いくら長野でも8月上旬は夏真っ盛りです。火もあちこちで燃え盛っていてそんな中3時間ほぼ踊り続ける体力はすごいですね。それがまたお祭りの不思議な力なんでしょう。

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