

株式会社ケアサークル恵愛の代表をしております池田と申します。
この度は、弊社のサイトにお越しいただき誠にありがとうございます。
弊社は
自宅で暮らしぬく!を支える
を1つの重要なテーマとしています。
弊社が手がける訪問介護は、まさに自宅での暮らしを支えるサービスです。
また、もう1つの柱であるグループホームでは、できるかぎり「自宅で暮らす」に近い環境で介護ができるよう心がけています。
ただ、私自身は子どもの時に転勤族だったこともあり、「自宅」というものに正直、こだわりはありませんでした。
家族がいるところ・・・それが家だろうという感覚だったのです。
それが、今では「自宅で暮らしぬく!」ということに強い共感を持っています。
なぜ、そのように考えるようになったのか、少し長くなりますが、私の来歴について書かせていただきます。
エンジニア生活とケアサークル恵愛との出会い
介護分野との関連は、2000年に介護保険が始まった時に始まります。
当時勤めていた明電舎で、介護事業者向け請求ソフトの開発プロジェクトがあり、そのメンバーに抜擢されたのです。
ただ、その時は、社内には介護の現場を分かっている者は誰一人いません。もちろん、介護保険の請求に関して、全く知らないという状況でした。
制度自体も、まだ決まっていないことが多くどうやればいいのかがわからないということも多々ありました。
そこでJAHIS(保健医療福祉情報システム工業会)という工業会に参加。参加の翌年にはサブリーダーとなるなど、積極的に介護の情報を集めました。今でも、この時に得た介護の知識が役に立っています。
私とケアサークル恵愛の出会いは、実はこの時期のことです。
明電舎の私が携わっていた介護事業者向け請求ソフトのユーザーの1社がケアサークル恵愛だったのです。
現会長との付き合いは、その時からになります。
その後、明電舎は介護事業ソフトから撤退しましたが、私と現会長の間では細く長い付き合いが続いていました。
妻の病気と闘病生活
2007年に妻が乳がんであることが分かりました。
そのとき、私達は一緒に全力で戦うことを誓いました。
左乳房全摘出手術をしてリンパも一部摘出しました。手術は成功でした。抗がん剤治療を行い、三カ月ごとに定期的にMRI検査をして状況を確認して、どこにも転移は見られませんねと医師に言われ、ほっとしました。
しかし、その次の検査で転移が発覚しました。
精神的に落ち込みました。
ですが、私よりも、妻本人の方がどれほどショックだったかは計り知れません。それでも、頑張って、治療を続けることにしました。
前回とは異なる別の抗がん剤治療が始まりました。
苦しい抗がん剤治療も終り、MRI検査で今度こそがんを叩いたと確認。これで大丈夫かと思った次のMRI検査で、また転移が発覚しました。
TomoTherapyという放射線治療も行いました。
これ自体は成功しましたが、また転移していました。
最後は肺に転移して、水がたまり、呼吸が苦しくなるという状況で、たまった水を抜くという対処療法になっていました。
在宅酸素療法になり、歩くのも困難になり、車椅子での生活でした。
ある日のことです。
通常の通院をした際に、自宅に帰ろうとしたのですが、具合が悪くなってしまいました。
様子をみて、何度も自宅に帰ろうと試みましたが、結局入院になってしまいました。
妻は自宅に帰ることに最後までこだわっていました。
本人は、何か感じるものがあったのかもしれません。
子供のころから転勤族だった私は家に対するこだわりが乏しいです。その感覚がちょっと不思議でした。
結局、自宅に戻れることなく、4日後に天に旅立ってしまいました。4年の闘病生活でした。
最後まで精一杯頑張ってくれました。
弱っていく妻を見ているのはとてもつらいものがありました。
私は完全に燃え尽き症候群になっていました。子供もいなかったこともあり、一人での生活は虚しさしかありません。生きる目標も失っていました。
ケアサークル恵愛への代表に
現会長は、そんな私を気遣って、時々声をかけてくださいました。代表のオファーをいただいたことも今までに何度もありましたが、2016年に「本気で考えて欲しい。そして会社を変えて欲しい。」と言われたときに、こんなオファーをいただくことはもう二度とないだろうと思いました。
自宅で暮らすことを支える仕事。
そのときに妻が何とかして自宅に戻りたいと考えていたことを思い出しました。みんな自宅が良いんだと。
私は一軒家に住んでいます。
これまでは年を取って階段の上り下りが辛いと感じ始めたら、マンションに住み替えればいいと考えていました。
しかし、今では妻との思い出がたくさん詰まっているこの家から引っ越すことはできないだろうなあと感じています。
これがいつまでも自宅で暮らしたいという気持ちなんだと初めて知りました。
自宅で暮らしぬくことの手助けができるのなら、やるべきではないかと感じて、オファーを受けることを決め、2016年10月にケアサークル恵愛に入社。現在に至っています。
そして現在は、現会長から託された「会社を変えて欲しい。」を実現するために、そして、
自宅で暮らしぬく!を支える
をより高いレベルで実践できるように、日々、新しいことに挑戦しています。

【しながわ産業ニュースの「働き方改革特集」で取材を受けました!】
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/contentshozon/185.pdf#page=3
【仕事を楽しむためのWEBマガジン B-plus
女優の川上麻衣子さんに経営者インタビューを受けました!】
http://www.business-plus.net/interview/1802/k3889.html