寛容の精神

社長ブログ

先日、関西に行く機会があり初めて比叡山延暦寺に行ってきました。
叡山ロープウェイで行きました。
まずは東塔(とうどう)地域を目指します。
生き方としては、シャトルバスと徒歩があります。
やっぱりここはできるだけ徒歩を選びたいと思い
歩いていくことにしました。

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ほとんど人に出会いません。
でも、空気感がとっても良いですね。
凛としています。
神聖な雰囲気が漂っています。
伐採されている木の香りがとても心地良かったです。

本当は最初に文殊楼に行ってそこから根本中堂を見たかったんですが、
このルートだと大講堂の方に着いてしまいます。
そこが少し残念でした。

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大講堂には、延暦寺で修行をした各宗派の開祖の木像があります。
浄土宗 法然、浄土真宗 親鸞、臨済宗 栄西、曹洞宗 道元、日蓮宗 日蓮
といったそうそうたる顔ぶれです。
日本仏教の母山と呼ばれる一旦ですね。

延暦寺に行きたかった理由の一つになぜ、各宗派の開祖が最澄の元で
学びたかったのか?
最澄はなぜそれを受け入れたのか?
ということを知りたかったからです。

そこから工事中の根本中堂です。昨年から10年計画だそうです。
工事が終わるのを待っていると行けないかもしれないし、
行けたとしても歩いて回れないかもしれないですから。

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内陣には、不滅の法灯があり、1200年間ともし続けているそうです。
織田信長に焼き討ちされた際には、分灯していた山形県の立石寺から
戻してもらって今日に至るようです。
内陣は、暗くて、かなり低くなっています。
これは仏様とお参りする人が同じ高さになるように設計されていて
仏様もお参りする人もみな同じということを表しているそうです。
ただし、仏様になるためには、厳しい修行をする必要があり
それだけ深い業があるというこを暗く低くなっている内陣で表しているそうです。

ご本尊は、薬師瑠璃光如来立像です。
薬師如来は、過去、現在、未来の現在を担当する仏様です。
今の世の中に役に立つお坊さんをたくさん作りたいという最澄の考えが
反映されているそうです。

根本中堂に行った後に文殊楼に登りました。
それにしても坂が急ですし、階段はかなりきついです。
さすが修行の地ですね。
これからの時期は受験生に人気だそうです。

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大黒堂です。三面出世大黒天が祀られています。
これはお参りしないといけないです。

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東塔地域を後にして西塔(さいとう)地域まで歩いて行きました。
1kmぐらいでしょうか。
階段は段差が高いですし、非常に歩きにくいです。

まず最初にあるのは、浄土院です。
伝教大師御廟でもあります。
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法然、親鸞、栄西、道元、日蓮と言った各宗派の開祖が十二年籠山行を行った場所でもあります。文字通り十二年間、こもりっきりで修業をするそうです。
現在、117人目が修行中らしいです。

通称弁慶のにない堂です。
対象に同じ建物があり、渡り廊下でつながっています。
この渡り廊下を使って弁慶が担ぎ上げたという伝説が残っています。
ここも修行の地です。

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そして転法輪堂、通称釈迦堂です。
今回はここに行きたくて訪れました。
千日回峰行の生みの親である相応和尚一千百年御遠忌を記念して内陣が初公開です。
それと御本尊の木像釈迦如来立像が33年ぶり二度目のご開帳です。公開は12/10までです。
今後公開の予定はないので、見るためには、出家して修行するしかないそうですよ。
結縁綱でお釈迦様との縁を結んできました。

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千日回峰行の説明もしていただけました。
これは本当に凄すぎる修行です。

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横川(よかわ)地域にも歩いて行きました。
4km程ですが、90分ぐらいかかるそうです。
きっとこういう所では礼拝しているのだと思います。

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時間も押してきたので、所々走りながら、60分で着きました。

横川中堂です。

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恵心堂です。
源信とも言われ往生要集が日本人の地獄感を今でも形作っていると思います。

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時間切れで歩いて戻れずに、シャトルバスで戻りました。
眼下に琵琶湖が見えていました。

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山裾は、少しピークは過ぎているようですが

それでも、非常に美しいです。

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京の都が西日に輝いていました。

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伝教大師の言葉の
一目の羅(あみ) 鳥を得ることを能わず
一両の宗 何ぞ普(あまね)く汲むに足らんや
というのを知りました。
一目の網で鳥を取ることはできない
ふたつの宗派で世界中のひとを救うことはできるはずがない
とでもいった意味かと思います。
この寛容の精神を世界中の人が持って入れば良いのにと思います。
いま、この寛容の精神がどんどん失われてきています。
時代の変化が早く、余裕というかゆとりが持てなくなってきていることや
格差が拡がっていることなど様々な利用はあるのでしょう。
そういう時代だからこそ、心の持ちようが問われるのだと思います。

また、延暦寺の至る所にこう書かれています。

一隅を照らす これ即ち国宝なり
一人一人が自分がどんな状況であっても、周りを明るく照らすことができれば、
それが広がって国が明るくなるという意味でしょうか。
自分にできることを精一杯やっていこうと思います。

本当に行って良かったと思いました。
なぜ最澄の元に沢山の僧侶が集まって修行をしたのかということが少しだけですが、分かったような気がします。
仏教について、もっと勉強しようと思います。